矢幡洋の精神医学と心理学

学術的なことをかみ砕いたり、日常生活にお役に立てる知識まで幅広く扱います。これまで出した本の初期稿(出版されたものより情報量は多いです)や未発表原稿を連載しますので、何かしら新しい記事があります。本ブログは他にあり、読み切り本気記事はタイトル・サブタイトルが「|」の形で更新情報をお伝えします

「元の世界に戻して」被虐待児は何とか不登校を乗り越えるが、生まれてきた子供には発達障害の兆候が・・・この部分は9月14日までネット上で無料立ち読みできます!
もし元不登校児の娘が自閉症だったら
「ママなんか死んじゃえ」衝撃の著者家族ノンフィクション! 

性格タイプ 047自己愛 0710.相手の話を聞いているよりも、

自分のことを話したくてたまらない

 自分に関する物事(旅行に行ったことから、風邪をひいたことまで、)がとて

も重大事で、人に話して聞かせたいという気持ちが強く、他人が話していると

「早く話を終わらせて、私にしゃべらせてほしい」というようなイライラした気

持ちになってしまいます。他人のことに比べて、自分の事の方がはるかに大きな

比重をもっています(これに対して、依存性性格者は、自分に関することなどつ

まらないことであり、「相手がどう思っているかの方が重要」と考えたがる傾向

があります。彼らは他人にサービスをして気に入られたいと思っているので、聞

き上手であることが多く、他人から「癒し系」と思われることも多いのです。こ

れに対して自己愛性性格者は、「私ってさ・・・」「私の場合はね・・・」など

と会話の中でやたら自分のことへのコメントが目立つ、と周囲の人に見られま

す)。

11.他人に対して批判的になったり、腹が立つことが多い

 自己愛的な性格の人々は、最近の言葉でいうと基本的に「自己チュー」である

人が多い、とされています。「周囲の人が、自分の要求を満たしてくれてるのが

当然だ」と感じる傾向です。その割に「自分は、他人の期待を満たしているかど

うか」ということに対しては、十分な注意がゆきません。そのために、自分自身

のことを「至らない」と感じたり、他人に対して申し訳なく思うよりも、他人に

対して要求がましく「なんで、私の期待することをやってくれないのか?」と不

平を感じたり、批判がましく感じたりすることの方が多くなります。このタイプ

は、心の中では腹を立ててばかりいる人もいます。

TITLE:一太郎 - [『「うつ」になる3つの性格』(学陽書房).jtd *]

DATE:2013/10/28 10:11

19年ぶり自閉症診断基準の大改定 | 日本の大御所たちの6つの大嘘

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 『 DSM-5 精神疾患の診断・統計マニュアル』をとうとう買った。 21600円という価格はさすがに痛い。古書が出回るのをジリジリしながら待っていたのだが、一向にその気配がない。発売されて2カ月以上たち、もう待つわけにはいかなかった。なにしろ、診断・分類体系の事実上の国際基準なのだ。


  今のところ、購入しているのは専門家ぐらいだろう。そして、その専門家が時折「 19年ぶりの大改定で自閉症概念はこう変わった」と発言しているのを耳にした。大御所たちの発言は多分嘘だろうと思っていたが、実際にDSM-5 の「自閉症スペクトラム」の項目を読んで、大御所たちの発言全てに目を通した訳ではないが、僕が耳にしたものに関しては「恥を知れ」と言いたくなる真っ赤な嘘が多かった。


  何が嘘なのか。それは、 「アメリカ精神医学会が自閉症概念を厳密なものに限定しようとしている」と言うきわめて基本的な事をはっきりと伝えていないからだ。僕が耳にした限りでは、大御所たちの発言は逆に「自閉症概念はますます拡大され、多くの人がそれに当てはまるようになってきている」と言う印象を伝えようとするかのようなものであった。
とりあえず、自閉症スペクトラムは、今回の改定で最も変化が大きかったところなので、ちょっと概観しておこう。


  DSM-4では、まず「通常、幼児期、小児期または青年期に初めて診断される障害」と言う大分類のもとに「広汎性発達障害」という中分類があり、その下に「自閉性障害」 「 レット障害」 「小児期崩壊性障害」 「アスペルガー障害」 「特定不能の広汎性発達障害(非定型自閉症を含む) 」 (いわゆるP.D.D)という5つの障害名があった。
今回の改訂では、 「自閉症スペクトラム障害」という中分類の下にある障害はたった1つになった。同じ名称の「自閉症スペクトラム障害」である。アスペルガー障害は診断名としては正式名称の中から消え去ったし、それどころか、 「特定不能の広汎性発達障害(非定型自閉症を含む) 」 (P.D.D)のカテゴリーすら存在しない。


1 、 「自閉症は増えている」と言う大嘘


  前回のDSM-4の改定では、「アスペルガー障害」 が新規参入するなど、自閉症概念の拡大が図られた。前DSM-4編集委員長フランシスは、 「自閉症の診断が3~4倍に増えるだろう、と編集委員会は予想していた」と述懐している。ところが、DSM-4で診断基準が変更された途端に、アメリカでは自閉症の診断が40倍に増えたのである。


  自閉症診断の濫発、つまり過剰診断という事態になったのだ。はっきり言えば自閉症は「誤診の山」となったのである(なお、日本神経精神医学会でも「自閉症の過剰診断」は問題視されており、学会大会でこの問題のシンポジウムがもたれたことがあったほどだ) 。


  アメリカ精神医学会が何をしようとしているのかもうおわかりだろう。彼らは、 40倍に水ぶくれした自閉症診断を何とかして制限しようとしているのである。


  実は、今回の改定で「自閉症の診断を下される人が減る」という事は、発表前から何度かのテスト的な調査でわかっていた。 「本当に自閉症の人が、 『診断に当てはまらない』とされてしまうのでは」という危惧も出た。DSM-5 て厳格化される診断基準に反発して、有力なイェール大学グループが編集委員会に反旗を翻し立ち去っていった。それでも編集委員会は方針を変更しなかった。 「自閉症の過剰診断を減らす」というのはアメリカ精神医学会の非常に強い意志なのだ。


2 、 「自閉症は今や、人口の5% 」だとか数字でびっくりさせる大嘘


 「自閉症は今や、人口の5% 」だとか色々と言われている。数字の部分にはいろいろな数字が入ったりする。だが、その数字が1以上である場合はハッタリである。さらに言えば、 「人口の1% 」という数字もアテにならない。DSM-5 が、この数字が過大評価されたものでしかないと言う疑念を表明しているからだ。一応、 「人口の1% 」という数字をあげながら「この数字は、診断基準の変更によっている可能性がある」という異例の「発生率の数字を素朴に評価することはできない」というコメントを付け加えているのだ。 「頻度の高まりは、閾値下の症例を含むようになったDSM-Ⅳの診断基準の拡大、認知度の高まり、研究方法の違い、または自閉スペクトラム性の頻度の真の増加を反映しているものなのかは不明なままである」と明言されている。増えたのは、 「自閉症と言う診断名」であり、 「自閉症」では無い。確実に言える事は、アメリカ精神医学会が今回の改定によって、 「人口の1% 」といった数字を減らす方向になることを想定しているということだ。

3 . 「スペクトラム」という概念によって、自閉症は重症のものから正常成人まで程度の差を持って普遍的に広がっている、という大嘘


「自閉症概念は人間を理解する普遍性を持つ」という一見かっこいいが、果てしなく強引な論法。DSM-4で5つの独立したカテゴリーとされていた障害を「 1つのカテゴリーの中の重症度の違い」として表現したので、 「障害の重症度の違い」を表現するために「スペクトラム」という用語を用いている、と明記されている。つまり、スペクトラムとは、あくまで「自閉症の中にも、軽いものから重いものまで違いがある」ということを表現しようとしたごくつつましいものに過ぎない。それを「スペクトラム概念によって、自閉症的傾向は重度の自閉症児から正常な成人にまで当てはまるものとされるようになった」などと風呂敷を広げるのは壮大な嘘である。 

4 . 「生きづらさを感じるあなたは高機能自閉症」と言う大嘘


  「生きづらさ」を感じさせる要素など人生でいくらでもある(ちなみに、私は、収入の少なさに「生きづらさ」を感じている) 。日本の大御所たちがしてきた事は、 「生きづらさ」 「他の人とは違うという感じ」などというあまりにも軽微ことにまで自閉症のレッテルを貼り付けることであった。だが、考えてみよう。 「アニメに夢中になっているのは自閉症的こだわり」 「KYは自閉症」 「人前のスピーチが苦手なのは自閉症」 「なかなか人と打ち解けられないのは自閉症」などと際限なく拡大していったらどういうことになるのか。それだけ水で薄めれば「自閉症とは何か」ということが曖昧になっていくだけだ。


 今回の改定で、DSM-4の 「自閉症診断基準が1部しか揃っていない」ものに対する 「特定不能の広汎性発達障害(非定型自閉症を含む) 」 診断まで削除された、ということの意味をよく考えてみよう。そして、 「社会的コミニュケーションにおける持続的な欠陥」 「興味・活動が限定されていて反復的」の両方が揃っていない限り自閉症スペクトラム障害の基準は満たしていないことになった。そのかわり、別の「コミニュケーション障害群」と言うカテゴリーの中に「社会的(語用論的)コミニュケーション障害」という新参者が加わった。多分、「社会的コミニュケーションにおける持続的な欠陥」だけの場合は、こっちの方を検討して欲しい、ということなのだろう。

5 、 「自閉症とは、能力が不均衡に発達して行く障害である」という大嘘


  自閉症を「発達凸凹」に言い換えよう、などといった主張がこれ。自閉症は能力の問題では無い。まず第一に、コミニュケーション面の障害である。 「言葉がほとんどない自閉症児が、あなたの年齢と誕生日を聞くだけでその日が何曜日だったかピタリと言い当てる」などの激レアケースに「自閉症児の才能! 」などと華々しいスポットライト当てたテレビ番組を見て勃起してしまう「自閉症の天才」マニアが憤死するかもしれないが、自閉症スペクトラム障害の診断基準の中に「能力の不均衡」ということは一言も入っていない。ただ、詳しい解説の中に「自閉症児が、知的障害を併発している場合、その能力に偏りが見られることがある」とさらりと書いてあるだけである。こっちの方をあたかも自閉症の症状のメインであるかのように言って回っているのが、 「大御所の嘘」の1つのトレンドである。

6 、 「大人になってから『自分は自閉症だった』と気づく人が多い」という大嘘


  今回の自閉症診断基準の大きな変化として、 「症状は発達早期に存在していなければならない」という発症年齢の早さが必須項目として付け加えられたことである。米国の様々な調査では、のちに自閉症と診断される子供に関して、2歳以前に親が「おかしい」と気がついていること場合は90%以上にのぼる。原則的には、記憶が残っていないぐらいの発達早期からずっと障害が継続している、というのでなければ自閉症とは診断されない。自閉症とは、生得的な脳の障害なのだ。

産婦人科から退院した日から躓いた。エリが、ほ乳瓶からミルクを呑まない。ミルクを別の種類に買い換えても、口を開こうとしない。

パパは、試しに別の形状の吸い口を二つ買ってきた。どちらをそっとあてても、口を開こうとしなかった。そして、小さな泣き声を上げ始めた。私たちの間で、沈黙が広がった。


眠らず泣き叫ぶ娘、トラウマを抱える私、収入が減る不安。両親からの助けはあてにできず、夫婦でエリを育てる日々 矢幡洋著・『病み上がりの夜空に』 【第6回】妻の章―空白の娘(その1) | 立ち読み電子図書館 | 現代ビジネス [講談社]

 

 


  成人で、親がすでになくなっていて幼少期の様子が分からないという場合は、保留である。DSM-5 が明記している事は、 「小学校高学年の時は友達とよくしゃべる子だった」 「いじめにあう前までは、問題がなかった」というような「良好だった時期」がある場合には、自閉症ではない、ということだ。これをそのままとれば、親が「 2歳前から、自分の方から他人に声をかけることがなかった。その後も、ずっとそうだ」と言うように発達早期から問題がずっと継続している場合が、自閉症である。

 「日本の大御所の本を読んだら自分に当てはまることがたくさんあったので、私は自閉症」というのは、今後は勇み足ということになるだろう。結論を下す前に、最低、親に、自分が覚えていないぐらいの頃の話を聞いた方がいい。文句があるなら、 DSM-5に言ってくれ。

 

 とにかく、問題なのは、日本の自閉症研究の大御所たちが「 DSM-5は自閉症診断を厳密化して過剰診断を止めようとしている」という基本的なことを伝えようとしていないことなのだ。自閉症診断が増えた方が商売上自分たちの都合がいいからだろうと疑ってはいけないのか。

精神科医の用心した方がいい5つのパターン | 玉石混淆の中で良医を見分けるチェックポイント

 

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臨床心理士として、いい精神科医、やばい精神科医を結構見てきた 

 僕は臨床心理士だが、精神科病院に10年近く勤めたので、その間、様々な良い医者・悪い医者に会った。精神科ほど、医者によって腕の差が出る診療科はないだろう。そこで、 「これだけは避けた方がよい精神科医」のタイプをいくつか挙げる。

1 、不思議な話が大好きでほじくり返してはもっともらしい解釈をする精神科医

  精神疾患の現象のなかには、確かに不思議なものも多い。だが、もしあなたが不思議な話をして、精神科医が耳をそばだててきたのなら、用心した方が良い。
 まず、統合失調症系統の病気の場合、発病時の体験は確かに不思議なものが多い。だが、それをクライアントに話させる事は、その時(発病時)の心境に近づけかねない危険なことである(中井久夫による) 。
  解離性障害と呼ばれるものも、精神科領域のミステリーゾーンであるが、これについても精神科医がはなさせようとしてきたら、さっさと切り上げた方が良い。

不意に奈緒の声ががらりと変わった。それは、奈緒の口から一度も聞いたことがない声だった。半分、男の声が入り混じったような、どこかの深淵から出てくる声だった。僕は背筋が寒くなるのを覚えた。声は、先ほどよりもはっきりとしていた。それでも、意味が聞き取れない。ただ、語尾に「○○じゃ」「○○じゃ」という古風な言い回しが続くのだけが聞き取れた。

亡霊?もしかすると、この安アパートの一室は、古くからさまよえる苔むした魂が満ち、僕の後ろには血が染み込んだ鎧をまとい、恨みを抱いた武者ががらんどうのような瞳で僕を見下ろしているのかもしれない。

僕は恐怖に凍り付いたまま、無表情の奈緒の呪言を聞き取ろうとしていた。だが、僕の中に事態にあらがうものが頭をもたげていた。これは、神託でも呪いでも憑依でもない。そこに、意味を探してはならない。

矢幡洋著・『病み上がりの夜空に』 【第5回】僕の章―廃墟(その2)僕は奈緒に感謝していた。奈緒と一緒になってから僕は少しずつ真人間になってゆく | 立ち読み電子図書館 | 現代ビジネス [講談社]

 

 これは、ついつい「交代人格か? 」などと、不思議マニアの気をそそる現象ではある。だが、こういった体験に「過去に、トラウマがあるのでは? 」などと掘り返そうとしてくると、本当に危険なことになる。


  アメリカでは、 「多重人格とは、暗示にかかりやすいタイプのクライアントに対し、不思議大好きの精神科医がマニアックな解釈を加えた結果強化されてしまった医原性の人工現象である」とするのが正当な精神医学の主流である。

  参考までに、脳科学者ラマチャンドランがこんなエピソードを述べている。
  人間の右脳と左脳は、それぞれ片方だけでもなんとか機能することはできる。ラマチャンドランは、「右脳と左脳を結ぶ脳梁のトラブルによって、右脳と左脳が別々に働く現象があるかもしれない」と思いついて、知り合いの精神科医に電話した。 「多重人格というものがあるそうだが、常に、 2つの人格に分かれるのかい? 」 「いや、多重人格というのは、もっとたくさんの人格に分かれる」-ラマチャンドランはすぐに電話を切った-「ありえねぇ」。


 上に引用した妻の経験についても、僕は今回の本に書くまで、 1度も「こんなことがあったよ」という事は言わなかった。そして、それは二度と起こらなかった。もし、この体験についてあれこれほじくっていたら、 「交代人格」が合成されていたんだろうな、と僕は思った。 「不思議な話」は、注意を向ければ向けるほど栄養を与えられて領域を大きく広げ、注意を向けなければやがて遠ざかって行く。
 少なくとも、 「不思議経験」を聞き出そうとする精神科医は、あなたを治療することよりも、自分自身の興味を満足させようとしていると考えた方が良い。

2 、特定の心理療法をやりたがる精神科医


  精神科医のなかには、臨床心理学に奇妙な思い入れを持っている文系崩れがたまにいる。特定の心理療法を熱心に推奨してきたり(あるいは、やろうとしたり)する精神科医は要注意だ。日本の医学部で特定の心理療法をマスターできるまでトレーニングしているところなど聞いたことがない。まず、本などから聞きかじった中途半端なものに過ぎないことが多い。

 僕は、薬物療法に誇りを持ち、心理療法に関しては胡散臭いと思っているくらいの精神科医の方が信頼できると思っている。ニュートラルな薬物療法以上の「○○主義」にかぶれているのは、クライアントの病状よりも「○○主義」「××療法」を遂行することをポリシーにしている可能性が高く、こういう精神科医はやめた方が良い。

3 .お説教の多い精神科医

  治療がうまく行かない時に必ず「君が、私の言った通りにしなかったからだ」とクライアント攻撃に転じる。自分自身の処方の見直しなどまずやらない。断定的な物言いをする精神科医も要注意である。

 「気をしっかり持って」「自暴自棄にならないで」などの精神主義的な実質お説教をする精神科医も、かなり勘違いしている部類である。「それができないから、ここに来てるんじゃないですか~」と思いながら、黙ってお説教をきかされるはめになる。

 「自殺はしないと約束してくださいね」と言ってくるのは非常に微妙。実は、これは訴訟社会アメリカで万一自殺された時に遺族から「通院させていたのに・・・医者に責任がある」と訴えられないために言え、とマニュアル化されているもの。まぁ、そういうことは知っている医者とは言えるだろう。だが、「そういう約束をしてもクライアントに自殺される可能性はほとんど変わらない」と調査結果があることまではご存じないのかも。脅しが感じられる口調で言ってくるなら、ダメダメだろう。

4 .専門用語を多用する精神科医

 すぐに病名を告げるような精神科医もやや用心した方が良い部類である。よほどのはっきりとした根拠がない限り「いちどお会いしただけでは、すぐにわからない。とりあえず、この薬を飲んでその結果を教えてもらえれば、もう少し突っ込んだことが言えると思う」と言う結論を急がない精神科医の方が無難である。診断名をいちども口にしない精神科医であってもそれはそれで構わない。

 

 むしろ、やたら専門用語を使いたがる精神科医の方が、クライアントと一緒に知的なお遊びをやりたがっている場合もある。あまりに込み入った「○○が××だから、それが△△を引き起こして・・・」と言うような説明は怪しい。そんなに、原因がはっきりしていて、因果関係の糸が引けるようなものでは無い。そういう説明が可能だと信じている精神科医は、たいてい「○○が××だから、○○に□□をすれば良い」というような検証不可能な思い込みに固執しやすい。(とにかく「文系崩れ」には用心しよう)

5 .人の話を聞かない精神科医

 結構多い。自分の意見ばかりをしゃべりまくっているのは、用心した方が良い。また、聞いているようで、返してくる言葉を聞くと、こちらが伝えようとしている事を自分流に曲解しているトンチンカンであることも珍しくない。

 

 「医者というのは、お薬を出す人である」- 僕が今まで見てきたうちでは、 薬物療法を丁寧に行う医者が最良だった。クライアントの訴えをよく聞く。処方した薬物によってクライアントが改善したのかどうか、丁寧に聞く。その情報に基づいて処方をこまめに調整する(「この量が良い」と分かった後は、めったに薬を変えない、という場合があるが) 、クライアントから薬の特徴や副作用について質問されたときには丁寧に説明する。(以上の基本を守っている医者であれば、薬の量が多いかどうかで善し悪しははかれないと思う。本当に多くの薬を必要とする場合もある。薬を多めに出しても、副作用が出たら、すぐに変更してくれるなど「ちゃんとやってくれている」のであれば、問題ないと思う)

  そして、自分の主義主張よりも「クライアントの状態が前よりも改善されているかどうか」という課題に忠誠を捧げる職業人であること。


  もし、残念なことに、あなたが精神科医にお世話になる事態になったら、そういう医者が良い医者である。余計なことはやりたがらない方がいい。薬を真面目に出す医者が、良い医者である。(以上のことは、「もし選ぶ余地があるのなら」という前提の上での話である。残念なことに、担当があまり腕の良くない精神科医であることがわかっていても、主治医の交代を望めない環境にある人が多いことも確かである)

更新情報 矢幡洋の犯罪心理学と事件

[カントとイラスト、こんな激レア犯罪者がいただろうか | 岡山女児監禁事件藤原容疑者を解明する - 矢幡洋の犯罪心理学と事件-日々の考察 http://t.co/l5wxNVyhDX]

回避性人格障害について解説しました

東大大学院(修士・夏期入試)合格しました

 本日、某大学院専攻科の合格発表があり、ネットで受験番号を確認しました。
 ずっと受験するつもりでいたことはいたのですが、毎年、何やかにやで流れに流れてここまで来ました。
 昨年も、「あっ、もう申し込み期限が終わっている!」なんてこともありました。
 今年こそは、と思っていました。
 いざ、受験の申し込みをした後、
「何やってんの、俺?もしかして、これ、とんでもないこと、やってんじゃね?いいのかよ・・・」
 みたいな感覚にずっととらわれていました。
 もちろん、自分の年齢や収入を考えてのことですよ。あまりにも無謀ではないのか。
 それでも、「何となく」事を進めてゆきました。
 前期は、別の大学の科目履修生もやっていましたし。
 自分の意志ではなく、ぼんやりしている自分を、別のものがどんどんお膳立てして逃げ道をふさいでゆくような感覚。
 あ、ちなみに家族には一言も言ってない。今も。
 
 一次試験は猛暑でした。相当早く行って、モスバーガーで腹ごしらえ。本郷の中は工事中の棟があって、途中、わからなくなり、食堂に入って、おばさんに道聴いて。それでも早く到着。

「あれー、なんでここいるの?」
「あー、今日、院試なんだ。やっぱ、○○専攻にしようかと思ってさー」
「へぇー、頑張ってね」

 ふうん、現役の東大生サンかぁ・・・。
 こちらは社会人枠だもんね。それらしき人はちらほら見かけるが、みんな若者にしか見えないぞ。まぁ、自分、最年長だろうとは思っていたけどな。

 始まる前にトイレに入ってドア閉めて、下着を全部替えた。汗でびっしょり。それでもワイシャツのカラーにしみた汗が冷たかったな。
 気持ちが悪い。

 最後まで悪あがきするつもりで、ほとんど唯一の英語学習だったDUO(ジョジョとは関係ない。600の文章を覚えれば入試で出るような単語はほとんど頭に入ると言われているよく使われている教材の一つ古い版)を持参していたが、廊下で試験会場が空くのを待っている人たちを見ると、その目の前でポケット版を取り出してブツブツやる気にはなれなかった。

 英語試験も筆記試験も口頭試問も、全部が猛暑のさなかの試験だった。

「あれ、これってマジ?俺、本当に院試受けちゃってんの?」

 ずっと半ば夢うつつの中にいるような、真夏の受験だった。                              

記事更新しました ASKA被告初公判が真の動機を明かした | 人気が二つのものに手を出させた? - 矢幡洋の犯罪心理学と事件

TV取材の申し入れで、すぐに公判の内容は知ることができました。その後、公判詳細の速報を見てaska被告の動機について過去の女性関係などから判断しました。パーソナリティの特異性を考えないと動機がわかりにくいです

ASKA被告初公判が真の動機を明かした | 人気が二つのものに手を出させた? - 矢幡洋の犯罪心理学と事件-日々の考察 http://t.co/L5pC4CKhnB]