矢幡洋の精神医学と心理学

学術的なことをかみ砕いたり、日常生活にお役に立てる知識まで幅広く扱います。これまで出した本の初期稿(出版されたものより情報量は多いです)や未発表原稿を連載しますので、何かしら新しい記事があります。本ブログは他にあり、読み切り本気記事はタイトル・サブタイトルが「|」の形で更新情報をお伝えします

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19年ぶり自閉症診断基準の大改定 | 日本の大御所たちの6つの大嘘

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 『 DSM-5 精神疾患の診断・統計マニュアル』をとうとう買った。 21600円という価格はさすがに痛い。古書が出回るのをジリジリしながら待っていたのだが、一向にその気配がない。発売されて2カ月以上たち、もう待つわけにはいかなかった。なにしろ、診断・分類体系の事実上の国際基準なのだ。


  今のところ、購入しているのは専門家ぐらいだろう。そして、その専門家が時折「 19年ぶりの大改定で自閉症概念はこう変わった」と発言しているのを耳にした。大御所たちの発言は多分嘘だろうと思っていたが、実際にDSM-5 の「自閉症スペクトラム」の項目を読んで、大御所たちの発言全てに目を通した訳ではないが、僕が耳にしたものに関しては「恥を知れ」と言いたくなる真っ赤な嘘が多かった。


  何が嘘なのか。それは、 「アメリカ精神医学会が自閉症概念を厳密なものに限定しようとしている」と言うきわめて基本的な事をはっきりと伝えていないからだ。僕が耳にした限りでは、大御所たちの発言は逆に「自閉症概念はますます拡大され、多くの人がそれに当てはまるようになってきている」と言う印象を伝えようとするかのようなものであった。
とりあえず、自閉症スペクトラムは、今回の改定で最も変化が大きかったところなので、ちょっと概観しておこう。


  DSM-4では、まず「通常、幼児期、小児期または青年期に初めて診断される障害」と言う大分類のもとに「広汎性発達障害」という中分類があり、その下に「自閉性障害」 「 レット障害」 「小児期崩壊性障害」 「アスペルガー障害」 「特定不能の広汎性発達障害(非定型自閉症を含む) 」 (いわゆるP.D.D)という5つの障害名があった。
今回の改訂では、 「自閉症スペクトラム障害」という中分類の下にある障害はたった1つになった。同じ名称の「自閉症スペクトラム障害」である。アスペルガー障害は診断名としては正式名称の中から消え去ったし、それどころか、 「特定不能の広汎性発達障害(非定型自閉症を含む) 」 (P.D.D)のカテゴリーすら存在しない。


1 、 「自閉症は増えている」と言う大嘘


  前回のDSM-4の改定では、「アスペルガー障害」 が新規参入するなど、自閉症概念の拡大が図られた。前DSM-4編集委員長フランシスは、 「自閉症の診断が3~4倍に増えるだろう、と編集委員会は予想していた」と述懐している。ところが、DSM-4で診断基準が変更された途端に、アメリカでは自閉症の診断が40倍に増えたのである。


  自閉症診断の濫発、つまり過剰診断という事態になったのだ。はっきり言えば自閉症は「誤診の山」となったのである(なお、日本神経精神医学会でも「自閉症の過剰診断」は問題視されており、学会大会でこの問題のシンポジウムがもたれたことがあったほどだ) 。


  アメリカ精神医学会が何をしようとしているのかもうおわかりだろう。彼らは、 40倍に水ぶくれした自閉症診断を何とかして制限しようとしているのである。


  実は、今回の改定で「自閉症の診断を下される人が減る」という事は、発表前から何度かのテスト的な調査でわかっていた。 「本当に自閉症の人が、 『診断に当てはまらない』とされてしまうのでは」という危惧も出た。DSM-5 て厳格化される診断基準に反発して、有力なイェール大学グループが編集委員会に反旗を翻し立ち去っていった。それでも編集委員会は方針を変更しなかった。 「自閉症の過剰診断を減らす」というのはアメリカ精神医学会の非常に強い意志なのだ。


2 、 「自閉症は今や、人口の5% 」だとか数字でびっくりさせる大嘘


 「自閉症は今や、人口の5% 」だとか色々と言われている。数字の部分にはいろいろな数字が入ったりする。だが、その数字が1以上である場合はハッタリである。さらに言えば、 「人口の1% 」という数字もアテにならない。DSM-5 が、この数字が過大評価されたものでしかないと言う疑念を表明しているからだ。一応、 「人口の1% 」という数字をあげながら「この数字は、診断基準の変更によっている可能性がある」という異例の「発生率の数字を素朴に評価することはできない」というコメントを付け加えているのだ。 「頻度の高まりは、閾値下の症例を含むようになったDSM-Ⅳの診断基準の拡大、認知度の高まり、研究方法の違い、または自閉スペクトラム性の頻度の真の増加を反映しているものなのかは不明なままである」と明言されている。増えたのは、 「自閉症と言う診断名」であり、 「自閉症」では無い。確実に言える事は、アメリカ精神医学会が今回の改定によって、 「人口の1% 」といった数字を減らす方向になることを想定しているということだ。

3 . 「スペクトラム」という概念によって、自閉症は重症のものから正常成人まで程度の差を持って普遍的に広がっている、という大嘘


「自閉症概念は人間を理解する普遍性を持つ」という一見かっこいいが、果てしなく強引な論法。DSM-4で5つの独立したカテゴリーとされていた障害を「 1つのカテゴリーの中の重症度の違い」として表現したので、 「障害の重症度の違い」を表現するために「スペクトラム」という用語を用いている、と明記されている。つまり、スペクトラムとは、あくまで「自閉症の中にも、軽いものから重いものまで違いがある」ということを表現しようとしたごくつつましいものに過ぎない。それを「スペクトラム概念によって、自閉症的傾向は重度の自閉症児から正常な成人にまで当てはまるものとされるようになった」などと風呂敷を広げるのは壮大な嘘である。 

4 . 「生きづらさを感じるあなたは高機能自閉症」と言う大嘘


  「生きづらさ」を感じさせる要素など人生でいくらでもある(ちなみに、私は、収入の少なさに「生きづらさ」を感じている) 。日本の大御所たちがしてきた事は、 「生きづらさ」 「他の人とは違うという感じ」などというあまりにも軽微ことにまで自閉症のレッテルを貼り付けることであった。だが、考えてみよう。 「アニメに夢中になっているのは自閉症的こだわり」 「KYは自閉症」 「人前のスピーチが苦手なのは自閉症」 「なかなか人と打ち解けられないのは自閉症」などと際限なく拡大していったらどういうことになるのか。それだけ水で薄めれば「自閉症とは何か」ということが曖昧になっていくだけだ。


 今回の改定で、DSM-4の 「自閉症診断基準が1部しか揃っていない」ものに対する 「特定不能の広汎性発達障害(非定型自閉症を含む) 」 診断まで削除された、ということの意味をよく考えてみよう。そして、 「社会的コミニュケーションにおける持続的な欠陥」 「興味・活動が限定されていて反復的」の両方が揃っていない限り自閉症スペクトラム障害の基準は満たしていないことになった。そのかわり、別の「コミニュケーション障害群」と言うカテゴリーの中に「社会的(語用論的)コミニュケーション障害」という新参者が加わった。多分、「社会的コミニュケーションにおける持続的な欠陥」だけの場合は、こっちの方を検討して欲しい、ということなのだろう。

5 、 「自閉症とは、能力が不均衡に発達して行く障害である」という大嘘


  自閉症を「発達凸凹」に言い換えよう、などといった主張がこれ。自閉症は能力の問題では無い。まず第一に、コミニュケーション面の障害である。 「言葉がほとんどない自閉症児が、あなたの年齢と誕生日を聞くだけでその日が何曜日だったかピタリと言い当てる」などの激レアケースに「自閉症児の才能! 」などと華々しいスポットライト当てたテレビ番組を見て勃起してしまう「自閉症の天才」マニアが憤死するかもしれないが、自閉症スペクトラム障害の診断基準の中に「能力の不均衡」ということは一言も入っていない。ただ、詳しい解説の中に「自閉症児が、知的障害を併発している場合、その能力に偏りが見られることがある」とさらりと書いてあるだけである。こっちの方をあたかも自閉症の症状のメインであるかのように言って回っているのが、 「大御所の嘘」の1つのトレンドである。

6 、 「大人になってから『自分は自閉症だった』と気づく人が多い」という大嘘


  今回の自閉症診断基準の大きな変化として、 「症状は発達早期に存在していなければならない」という発症年齢の早さが必須項目として付け加えられたことである。米国の様々な調査では、のちに自閉症と診断される子供に関して、2歳以前に親が「おかしい」と気がついていること場合は90%以上にのぼる。原則的には、記憶が残っていないぐらいの発達早期からずっと障害が継続している、というのでなければ自閉症とは診断されない。自閉症とは、生得的な脳の障害なのだ。

産婦人科から退院した日から躓いた。エリが、ほ乳瓶からミルクを呑まない。ミルクを別の種類に買い換えても、口を開こうとしない。

パパは、試しに別の形状の吸い口を二つ買ってきた。どちらをそっとあてても、口を開こうとしなかった。そして、小さな泣き声を上げ始めた。私たちの間で、沈黙が広がった。


眠らず泣き叫ぶ娘、トラウマを抱える私、収入が減る不安。両親からの助けはあてにできず、夫婦でエリを育てる日々 矢幡洋著・『病み上がりの夜空に』 【第6回】妻の章―空白の娘(その1) | 立ち読み電子図書館 | 現代ビジネス [講談社]

 

 


  成人で、親がすでになくなっていて幼少期の様子が分からないという場合は、保留である。DSM-5 が明記している事は、 「小学校高学年の時は友達とよくしゃべる子だった」 「いじめにあう前までは、問題がなかった」というような「良好だった時期」がある場合には、自閉症ではない、ということだ。これをそのままとれば、親が「 2歳前から、自分の方から他人に声をかけることがなかった。その後も、ずっとそうだ」と言うように発達早期から問題がずっと継続している場合が、自閉症である。

 「日本の大御所の本を読んだら自分に当てはまることがたくさんあったので、私は自閉症」というのは、今後は勇み足ということになるだろう。結論を下す前に、最低、親に、自分が覚えていないぐらいの頃の話を聞いた方がいい。文句があるなら、 DSM-5に言ってくれ。

 

 とにかく、問題なのは、日本の自閉症研究の大御所たちが「 DSM-5は自閉症診断を厳密化して過剰診断を止めようとしている」という基本的なことを伝えようとしていないことなのだ。自閉症診断が増えた方が商売上自分たちの都合がいいからだろうと疑ってはいけないのか。