矢幡洋の精神医学と心理学

学術的なことをかみ砕いたり、日常生活にお役に立てる知識まで幅広く扱います。これまで出した本の初期稿(出版されたものより情報量は多いです)や未発表原稿を連載しますので、何かしら新しい記事があります。本ブログは他にあり、読み切り本気記事はタイトル・サブタイトルが「|」の形で更新情報をお伝えします

「元の世界に戻して」被虐待児は何とか不登校を乗り越えるが、生まれてきた子供には発達障害の兆候が・・・この部分は9月14日までネット上で無料立ち読みできます!
もし元不登校児の娘が自閉症だったら
「ママなんか死んじゃえ」衝撃の著者家族ノンフィクション! 

「子供を受けいれて待つ」でドツボにはまった不登校問題 | 心理主義の犯罪

 

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カウンセリングは何の役にも立たなかった

 

私の精神が持ちこたえたのは、高校一年二学期までだった。三学期になると、中学三年生の時のような腹部の不快感がひどくなってきた。中学の時は、まだ学校に行かなければならないという気持ちが強かった。ところが、その気持ちが起こらない。学校に行く目的がないのだから。目標が見えなくなったことは、私の気力を崩壊させた。

母親から怒鳴られても、私は学校に行けない日は丸一日家に閉じこもり、憂鬱な感情に押しつぶされそうになっていた。学校に行っても、途中で早退した。疲労困憊して机の前に座っていることもできなくなったのだ。今までの人生の疲労が一挙にきたのだろうか?

とうとう1ヵ月近く、全く登校できなかった。その頃、不登校は精神の病気とされており、家族に県立精神医療センターに連れて行かれた。

矢幡洋・著『病み上がりの夜空に』 【第3回】妻の章―亜空間(その3)---私が、治療者になる?精神の病だらけの人間に、心理療法などできるだろうか | 立ち読み電子図書館 | 現代ビジネス [講談社]

 

それで、僕は妻に聞いてみた。
「結局、精神科医やカウンセラーからたくさん心理療法を受けたようだけど、不登校は改善したの? 」
「い~や、これっぽっちも」
「最近、 『登校刺激』って言うような、登校を促すような働きはあったの? 」
「い~や、これっぽっちも」

「動きが出るまで様子をみましょう」 「本人の気持ちがそちらに向くまで待ちましょう」-自殺行為

 実は、僕は、よくカウンセラーがアドバイスする「動きが出るまで様子をみましょう」 「本人の気持ちがそちらに向くまで待ちましょう」 「立ち直る力を信じて、その日が来るのを待ちましょう」といった耳障りの良い言葉が、何一つ効果がなく、それどころか致命的なところまで不登校を長引かせる元凶となっているのではないか、という気がしていたのだ。

不登校は「ココロの問題」なのだろうか

  理由は簡単である。これらの心理屋さんたちは、 「不登校は、もっぱらココロの問題」というココロ主義をとっていて、その原因たるココロに働きかけようとする方策をとっていたからだ。それが、箱庭療法であろうとも、 「うん、はぁ、うん、はぁ」のクライアント中心療法であろうとも、 「ご家族の話し合いが必要です」と居丈高に宣告する(というか、家族を犯人扱いする)「家族システム論」であろうとも。ココロが原因なのだから、そのココロが変われば行動が変わる・・・。

ココロ主義はもう負けている

  もう、このココロ主義の破綻は明らかとなっている。今年の文科科学省の発表によれば、昨年に比べて、不登校は増えている。子供の数は減っているのだから、割合としては、数字以上に増えているといってもいいのかもしれない。


  まず、何でもかんでも「それは心の問題だ」とする心理主義が、いかにも人間尊重的な美辞麗句を持って覆いつくしているということもある。


  だが、不登校はココロの問題なのか?むしろ、 「生活習慣の問題」など、別の視点を取った方がよほど解決に近づくように僕は思う。

「心が全てを決めている」はもう古い

  「心こそ、人間の格たるものであり、人間の全行動は、すべて心自らが決定している」という「心=自分」論は脳科学の出現によって相当怪しいものになっている。細かい議論は省くとして、 「いちいち自己決定したわけでは無い行動を、あとから振り返って『意志』に従ったものであるかのように後付のストーリーを作る、それが心」というあたりが心の視座だろう。 (僕は、実はジョン・デューイのファンだ。 「周囲と摩擦なく行動が進んでいる限り人間はほとんど判断抜きで自動的に動いており、それが何らかの障壁が生じて、立ち止まって作を練らなければならなくなったときだけ「主体意識」が現れる」という話が好きなのだが。 「オレンジジュースを飲むか、アップルジュースを飲むか、決めたのはこの私だ」と言う人も、 「冷蔵庫の前まで行くときに、右足と左足にいちいち指令を出していましたか? 」と聞かれれば、返答できないだろう)
かつ、この「ココロ」のイメージは、 「傷つきやすいガラス細工」のイメージであった。最優先されるべき事は、まずこれ以上傷つけないように、そっとしておくことだった。 (ちなみに、ある「ココロが原因」と叫んでいる現存の「大家」は、 「まず、家族でじっくりと話し合い、子供の持っている悩みで、親が気づいていないものがあったら、親が謝罪することが第一歩」と書いてあった。僕はびっくりして、その本を書店の本棚に戻した)

それでも「心は 傷つきやすいガラス細工」と言いたがる連中

  心理屋が好きで好きでたまらない「傷つきやすいガラス細工」としての「ココロ」の存在をほとんど認めない(あるいはフリーパスする)心理療法はいくつかあるのだが、それらが主導権を握ることがなかった事は、日本の不登校問題の一大不幸であった。

「心」をバイパスして解決に向かう心理療法もあったのに

  例えば、僕が最も近い解決志向セラピーである。 「原因」を一切追及しない。せいぜい、 「ちょびっと行けそうになった日は、全然行けそうもなかった日と、どんなところが違っていたか? 」と聞く程度である。後はひたすら、クライアントの持っている「強さ」 「価値観」を褒める、褒める、褒める・ ・ ・


  例えば、僕からは少々距離がある応用行動分析。これまた「ココロ」は一切問題にしない。投稿を拒むその前の状況、登校を拒んだその後の状況それを詳しく調査する。 「登校を拒んだその後の状況」に本人にとって何かしら結果的に得になっているような行動があれば、それを除去する。そのかわり、登校をすれば得になるような状況を設定する。

  この点は強調しておきたいが、解決志向セラピーも応用行動分析も一切強制力は用いない。一切、叱らないし、非難しない。ただひたすらに褒める・褒める・褒める。ただし、おだてるのではなく、解決志向セラピーは、大人がその子供に本当にいいところを見つけたら手放しに褒める。応用行動分析は、クリア可能な課題を設定し、それができたらほめる等「必ず」ご褒美を与える。どちらも笑顔で褒めてばかりのアプローチだが、目標を再登校に設定した積極的アプローチである。
不登校問題を解決不可能にした「傷つきやすいガラス細工としてのココロ」はこういう心理学には全く登場しない。

「待っているだけだと取り返しの付かないことになる」って言ってる人は結構いるよ

 「信じて待つ」スタンスがいかに有害であるかは(そういうスタンスの下にあって、何かのはずみで登校を再開した人の存在までは否定しないが) 、この立場に立つ人々の著作で繰り返されている。


「不登校はずっと待っていても、自然になるものではありません。 ・ ・ ・いくら待っていても不登校は解決しないのです」 (森田直樹)


「医師や心理士のなかには、 『子供の前を全面的に受容すべきです』と言う人もいて、これらの無責任な助言のせいで子供の召使いのようになっている親や祖父母と数多く出会ってきた」 (奥田健次)


 少なくとも僕も、不登校に関しては、ずるずると間を空けるべきではないと思っている。時間が経つにつれ、学校復帰は難しくなる。

左翼崩れの「学校不要論」と付き合っている暇はない

 「そもそも、なんで学校に行かなければならないのか」と言う抗議を僕は却下する。この世には、左翼崩れの連中がたくさんいて、この連中は、何らかの社会不適応を起こしている人間こそ、社会変革を起こす救世主である、という福音を説いてきた。大した実行もしていないくせに、社会不適応者を自分の陣営の兵隊に加えようとする連中をぼくは唾棄する。

もう一人の私が自分を見ている | 統合失調症ではないんだが、妻の紛らわしい体験

 

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 どうしても真に受けられない解離障害

 自分の中の迷いを述べるだけで、結論は無い。

 僕は、 「解離障害」と言うものに対してずっと懐疑的だった。これはもう論外だが、解離障害の中に昔は「多重人格」なんてのが堂々と載っていて、批判の的になっていた。そんな胡散臭いものには力なので安全。実際、僕が信頼していた精神科医には「解離障害」なんて、いう話が好きな人間はいなかったし。

 

ある統合失調症者の話


 それと、僕にとっては、最も痛切な体験。僕が1番よく知っている長年入退院を繰り返している今はもう老人と言って良い年齢の女性である。この人は、 「統合失調症」の診断を下してそっち向きの強い薬を処方する精神科医の下ではよくなった。 「ヒステリー」の診断を下して軽い薬しか出さない精神科医のもとで確実に悪くなった。そして後者に限って、そういう診断を口にするとき、得意げな顔をしていた。 「統合失調症とずっと誤診されていたのを、この俺様が『本当は、ヒステリー』と見破った・ ・ ・とでも言いたかったのかね。そして、患者の病状が悪くなると、自分の診断を再検討するのではなく、周囲に「治療を妨げている」悪者を探した・・・ところで、その女性の統合失調症の初発の時の体験はこんなものだったらしい。(全て仮名)

世界没落体験

そして更にその向こうの高縄山のすそに広がる明るい森の中で、萌は発病した。今から十七年前の秋、俺の知らない女子大生がこの森に誘われるように入り、あたりは色づいた木々で夢の魔法のような美しさで、空も日本晴れであったし、そこが煩悶の終わりであるかのような晴朗な気持ちで萌はしばらく歌などを歌っていた。しかし、黄昏が迫り始めると、世界は急に相貌を変え、禍々しい夜の闇が捉えようとしていることがわかったのだ。そして萌は泣き出したが、どちらに進もうとも一歩ごとに、どこに行こうとしていたか分からなくなるし、どの茂みの背後にも何かが潜んでいるようで、それは今でも忘れられない地獄のような時間であった。どこをどう歩いたのか分からなかったが、車道にようやく出たときには、あたりは闇の中に没しようとしていて、歩いている人々の顔も、背広の上に豚の頭がついていたり、犬がブラウスをまとっていたりしているようにしか見えなかったのだ。萌は泣きながら地獄のようなその世界をさまよいその晩は留置所のつめたく固い床の上で寝て、それから多賀病院に入院したのだ。
 「世界は、世界は美しい」その言葉を多賀病院で繰り返して言っていた、と萌は記憶している。なぜか、萌は看護婦たちに可愛がられた。退院間際になるころには自分の恋の悩みまで打ち明けて相談を求めてくる看護婦さえいたというのだ。-俺は、それはそうだろう、と萌に言った。萌はたしかに多くの人に、混じり気のない善意の存在を感じさせるものがあるのだ。

どちらも「知覚異常体験」ではあるのだが

 これは、統合失調症の発病に現れることがあるとヤスパースが指摘した「世界没落体験」である。
  悪夢のように世界が変貌していくその前に、 「世界が良いように美しく輝いて見える」体験が先行したのだ。いずれにせよ、それは僕たちが通常目にしているものが別ように見えるという異常知覚体験である。

 さて、それで、僕の妻の場合。

離人体験

 ほんのついさっきまで、そこはなじんだ私の部屋だった。しかし、私は、時計の音が一二回鳴るうちに、別の場所に落ち込んでいた。馴染みという感覚は完全に払拭されていた。ノート。蛍光灯。教科書。鉛筆。見慣れたはずなのに、それらは見覚えがない奇妙なものへと変貌していた。

落ち着いて。これは、それが仕掛けた罠。いつもの自分の部屋から一歩も出ていないじゃないの。心の一方が叫ぶ。だが、その一方はあっという間にそれに占領されていった。それが作り出した、この世とは別の次元の亜空間。何もかも見知らぬものたちに囲まれて、私はたった一人の異邦人だった。

私は、机に投げ出された自分の腕を見た。腕までも見慣れないものになっていた。「私の」という感覚がなかった。見知らぬ物体のように、それは無造作に転がっていた。恐怖を感じた。自分がなくなってゆく!自分の体までが、無機質な物体と化していた。魂はおびえながら、荒涼としたその場所に閉じ込められていた。この机の上の腕は再び動くのだろうか?動くとしても、それは奇妙なメカニズムによって、ロボットの部品のようにかたかたと動くに過ぎないのではないか。
元の世界に返して!

だが、世界は動かなかった。すべてが凍り付いていた。
ただ、恐怖だけがあった。もうだめだ、このまま私はそれの世界に閉ざされてしまう。

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 嫌いなんだよ「解離障害」って言葉は

 これも、異常知覚体験ではないか、と言われたら「多分、そのように分類することができるだろう」と言わざるを得ない。ではこれは、統合失調症の異常知覚体験なのか?
 そうではなかったのだ。では何だったのか?僕の嫌いな「解離性障害」に見られる「離人症体験」であり、 「分身体験」なのだ、とすると話が落ち着くので困ってしまうのだ。つまり、僕は、最初にあげた女性を「解離性障害」とする医者たちに悩まされてきたのだ。

 

分身体験としてあっさり片付ける 安永浩

 安永浩は「分身体験」として説明している。
「行動している私を、別の私がどこかで見ている」というような形で表現される。 ・ ・ ・これはある特殊心理状態においてはほとんど実体的な幻視の域に達する。すなわち自-極は自分の身体から離れ、さながらまなざす目だけという霊的存在になり、身体を備え、行動をしている具体的な自分の姿をありありと見る。 」
安永浩は、このような体験は高熱、疲労の極限、パニック、その他の疾患に関連して一過性に起こりうるもの、として「統合失調症よりはむしろ意識障害との関連が深い」としている。

統合失調症にも解離障害にも幻覚幻聴はあると昔から言われてはいるが

 柴山雅俊は『解離の構造』で、統合失調症初期にも、彼の言う解離性障害の中にも、このような幻覚にも似た異常知覚体験が見られるという。その両者は紛らわしい、としている。最初にあげた統合失調症の女性をヒステリーと診断した医師たちはこういう主張が好きなのだろうか。統合失調症を解離性障害と誤診することの方が危険が大きいように思うが(柴山雅俊は解離性障害の場合は、二重化した世界に対して「それが何なのか」という疑問を持たないが、統合失調症の場合は異常知覚に対して「これは、宇宙人の仕業か?」などと解釈しようとするところに大きな違いがある、と指摘しているが)。
  これに対して安永浩は、 「 1人の私がもう1人の私を見ている」という感覚はを特に病的なものとして大きく扱っている訳では無い。

結論が出せません


  今のところ、私には安永浩の指摘の方がしっくりくる。それでも、長年避けていた「解離性障害」と言うものを(2重人格だのなんだのはともかくとして)全く避けて通るというわけにも行かなくなってしまった。非常に歯切れが悪いが、今の段階で、割り切って説明してしまうよりはましだろう。 

「子どもの心のSOS」とか、「子どもの心に寄り添って」とか、全然役に立たないよ | 妻の暴力はそんなことしなくても落ち着いたもの

 

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 この頃の私は家の中で息をひそめ、自分の精神や食欲をコントロールする日々を送っていた。近所の誰にも知られないように、一歩も外に出なかった。達也がバラエティ番組を大きな音で見ているのが気に障り、はさみでテレビの電源コードを切り、親に散々怒鳴られた。

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ああ、こりゃ、やっぱり暴力だね。

にらみつけた目をそらすまいと思っていたが、つい下を向いてしまった。そのとき、私の左側にちょうどまな板があった。その上に包丁が載っていた。私は左手でそれをつかんだ。

達也は手を離すと、ぱっと後ろに飛んだ。
私と達也の間に、冷たい金属色で鈍く光るものが屹立していた。

「何すんだよっ。危ねえじゃねえか」

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  「暴力は子供の心のSOS 」っていうね。聞いたことあるでしょ。


 で、 「子どもの心に寄り添え」って言うよね。これまた、聞いたことがあるでしょ。繰り返し、繰り返し。そう、もう洗脳されちゃうくらいに。


 ところで、こういうスイートな言葉が、無意味で、お馬鹿で、効果がなくて、かえってことを悪くするって、知っているかな?

 いやそれどころじゃなくて。


 こういう「傷ついた子供の心を癒してあげて」的な言葉が、お葬式場のお経以上に、きわめて有害な言葉だってことをね。

 

 まぁ、色々あったわけさ。
 不登校だし、解離症状あるし、拒食症だし。
 でもって、 「心のSOS 」ってやつを誰も耳を傾けてくれなかったし(精神科医とかカウンセラーとかいう奴らも含めてね) 。
 誰も心に寄り添ってくれなかったし、誰も癒してくれなかったし。

 

 だけど、妻はよくなっちゃったってワケさ。
 これ読んで、さぞかし不愉快だろうね。 「心が1番大事」と信じている人たちは。

 

 でも、こういうこと、結局無くなっちゃったんだよ。
 誰も意味を傾けてくれなくても、誰も心に寄り添ってくれなくても、ね。

 

 つまり、妻は「目的」を見つけたわけさ。
 そして、その目的を実現しようとするうちに、上に引用したようなこと、やる時間がなくなっちゃったってワケさ。
 ついでに言うと、そんなことどうでもよくなっちゃったってワケさ。

 

 まぁ、 「子供の心」 「傷ついた子供」 「子どものSOS 」って口を開くたびに行っている人たち(僕は、 「こども十字軍」と呼んでいる)は、この文章を読んでさぞかし不愉快だろうな。
当たり前さ、腹を立てさせるために書いているんだから。


 だって、僕のそばには、いるわけなんだよ、 「心」 「傷」 「 SOS 」だの「こども十字軍」が好きで好きで余らない言葉とは無関係に、ただ目的を持つことによって軌道修正がでてきちゃった、と言う人間が。

開放精神医療の正体|僕はそれを妻から聞いた

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父は、また別の精神病院に私を連れて行った。「病院長は有名な人で、本も出しているらしい」と父親は言った。病院長は元気な笑顔の人だった。院長専用の診察室には絵や写真が飾られ、キャンバスが立っていた。

幻聴がないか聞かれた。ない、と答えた。それで院長は、診察の必要を感じなくなったらしい。「ちょっと、雑談してリラックスしてもらおうかな」と言うと、立ち上がり、診察室にかけてあった自分の絵の説明を始めた。

約30分続いた診療は院長の趣味である自作画についてのおしゃべりで費やされた。最後の方は「この病院は、古い体質の病院とは違って、僕が患者さんとカラオケや社交ダンスを一緒にやったりするような新しいタイプの精神病院で・・・・・・」と自分の病院の自慢話に変わった。拒食症のことも亜空間のことも聞かれなかった。

二回目は、院長は最初から私のことを何も聞こうとせず「僕は、子どもの頃から絵の賞をよくもらっていてね・・・・・・」というような話ばかりだった。・・・・・・もちろん症状はよくならなかった。

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日本で一番先進的だったはずの開放精神医療の話を直接聞いた

 僕は、とても複雑な気持ちだ。妻と交際してるときに、彼女が通院していた精神科病院の面接というのがこういうものだったということを聞いた・ ・ ・そして、その病院は、僕が精神科病院に勤務していた頃に、 「開放精神医療を日本で初めて実現した病院」と位置づけられており、ほとんど聖地に近い存在だったのだ。そこの病院長が書いた「開かれた病棟ナントカ」(題名も正確には覚えていないほど古い本だ)と言う本は、僕たちの間ではバイブルとされていた本だったのである。


 その病院が売り出していた頃に通院しており、しかもその病院長が僕の彼女の主治医だったという。しかも、彼女の口から出る言葉は、診察室を自分の絵でいっぱいにした挫折した芸術家崩れが患者さん以外は誰も見ないであろう自分の絵をとうとうと自慢して聞かせる風景だった。どんなに話を聞いても、そこには信念を持ったたくましい改革者どころか、仕事の場を自分のプレイランドと化しているお気楽な人間に過ぎなかった。

「改革者」はただのお気楽趣味人だった

 立派な理念を口にする人間が、必ずしも立派な実践者だとは限らないことぐらいは知っているつもりだったが、まさか、こんなところでその例を聞くとは。


 その時までに、僕は精神医療の世界に10年近く足を突っ込んでいた。そして、開放医療と呼ばれるところの実態は大方わかっていた。

 

入院者を選別して「手のかからない患者」だけを集める-その上に立つ開放精神医療


 それらは、すべてが私立精神科病院だったのである。つまり、 「私立だから」ということを口実にして、入院者を選ぶことができる。僕が半年ほど仕事をしたある病院はやはり「うちは開放的」と言うことを言っていたが、入院時に暴れるような入院者はことごとく入院を断っていたのである。言ってみれば、症状の安定した扱いやすい入院者だけを選んでいた。結局、開放医療とは、そのような「扱いやすい入院者だけの選別」を行い、その上に立って成立するものでしかなかったのではないか。

 

その対極には公立精神科病院の触法患者病棟があった


 これに対して、公立精神科病院はまるで事情が違っていた。公立病院は、どんな入院者でも断ることができなかったのである。僕は、公立精神科病院の触法患者専用の病棟に勤務していた経験の長い男性看護師(引用した箇所の次の章で「安室」と言う仮名で登場する)から、 「深夜勤務のその病棟の巡回のときには、男性看護師が2人で背中と背中をくっつけどこからも隙を見せないようにして回るようにしていた」と聞いていた。そこまでやっても、事故は起こったのである。ある晩、 1人の入院者がビンを叩き割り、別の出ている入院者の顔に突きたてた。被害者のほうはそのまま失明した。

偏見は持って欲しくない。普通の精神科病院は静かすぎる場所だ

 精神科病院に縁のあるものとして、偏見はもって欲しくないと思う。おそらく、普通の人が想像する以上に、精神科病棟というのは、暴力など滅多なことでは起こらない。むしろ、精神科病棟で1番困ることというのは、 「静かすぎる」ことなのだ。

「皆さん、院内作業の時間ですよ」そう声をかけても、病室によっては、全員頭から布団をかぶり誰1人として返事をしない。活動へと促すために職員は四苦八苦することになる。触法患者専用の病棟の話などは、精神科病院の中でも極めて特殊な話なのだ。そうは言っても、 「暴力行為等、全く起こらない]と言ったら、それはウソだ。症状が悪化すれば、怒りっぽくなる入院者は何人かは存在した。そして、開放精神医療とは、そのような入院者を排除して、行動の安定した入院者だけを集めたうえに成立していた。公立精神科病院から見れば、僕の勤務していた病院などは、 「薬をした上に、うまい宣伝文句を思いつきやがって」としか見えなかったかもしれない。

今は病院改革よりも、地域医療へと流れは変わっているのか

 もちろんこれは、もう20年以上前の話だ。今の精神科病棟が一般的にどんな風になっているのか僕はよく知らない。良い薬が増えて、大声を出す入院者など滅多に存在しない静寂な場所になっているのかもしれない。そして、病院を開放的に改革することよりも、通院治療の方が一般的になり、地域の中での治療のほうに重点が置かれている時代になっているのかもしれない(そして、ほとんど入院者の選別を行わずに、しかも自由度の高い医療を実践している精神科病院もあると聞く)。

「良心的」を謳うところへの不信感

 だが、昔の「開放精神医療」の実態を目の当たりにすると、僕の中にはある猜疑心が生まれてしまった。精神科病院に限らない。およそAという問題を扱っている治療・療育施設において、 「うちは、こんなに良心的にやっている」というようなことを宣伝するところは、実は、「A」が軽症で手のかからない入所者だけを集めているだけの話なのではないか。そしてAを扱う領域全般としては、ほとんど世間には表沙汰に出せないようなレベルのところが影のように存在しているのではあるまいか。


 もちろん、杞憂であってくれれば良いと思う。そのような「良心的」を売り物にするところが、入所者の選別を行わなくても十分に「良心的」であることを願いたい。

錦の御旗を振り回さなくても優れた精神科医は十分開放的だった

 だが、ひとつ胸に刻んでおきたいことがある。それは、 20年以上前にも、入院者を選べない公立精神科病院であっても、個人的に「開放精神医療」を実践していた精神科医を僕は何人か見ている。彼らは、入院期間を可能な限り短くし、入院中は極力本人の意思を尊重し、その上で事故も起こさなかった。そういう人に限って「開放精神医療」などと華々しく旗を振ります事はなかった。ただ、黙々と、他の精神科よりも時間をかけて丁寧に入院者と接していた。


 バイブルだった「開かれた病棟ナントカ」よりも、僕はそのような寡黙で良心的な職業人の姿を胸に刻んでおこうと思う。

妻が中学時代に教師から受けたセクハラ | 彼女はまだそれを許そうとはしない

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なかなか信じてもらえないのですが、本当にあったことです

 妻の中学時代のセクハラ体験について、 「本当に、こんな学校があったのですか? 」と驚かれる方がいます。

 

私は、中学校の様子などを話したが、どうしても、今の中学への不満を抑えることができなかった。男性教師がにやつきながら学年全員の女子生徒のスカートの長さを物差しで測ること。友達が道徳の時間に指名されて立ったところ「お前、胸触られるってどういう感じがするのか、言ってみろ」と担任に言われたことなどを。

矢幡洋・著『病み上がりの夜空に』 【第2回】妻の章―亜空間(その2)---死のう。誰にも邪魔されない場所で、静かに消えよう。 | 立ち読み電子図書館 | 現代ビジネス [講談社]

(なお、今回、ネット上で立ち読みができるようになっている部分が公開されているのは今日までだそうです)

校内暴力・管理主義教育・・・色々変化したトレンド 

  ええ、実は、ずいぶん昔々の話になるのですが、校内暴力が流行った時代があったんです。有名な進学校でも、高校の卒業式が終わった後で、嫌われ者の先生が生徒にプールに投げ込まれたりしました。 「お礼参り」と言われていましたが、死語になってしまいましたね。他に、 「毎年卒業式ごとに、校内の窓ガラスが全部叩き割られた」などという話もありました。
で、そうゆう校内暴力の時代が収まった後に、今度は、 「教師が横暴に振る舞う時代」があったのです。僕自身は直接知りませんが、妻と近い世代の人では「教師に殴られて鼓膜が破れた」という話をしてくれた人もいました。その後、管理主義教育、ゆとり教育・ ・ ・などと教育風土はいろいろ変転しているようですね。
 とにかく、こんなことが日常茶飯事だった時代があったわけです(

http://personality-type.hateblo.jp/entries/2014/08/16

もご参照下さい)。

学校集団の歪み

 どうも、上がこういうことやると、下、つまり生徒の方にも歪みがやってきます。先生が生徒をいじめるだけではなく、生徒同士の間でいじめが流行るわけです。妻の話では、ことにそのいじめは当時は特殊学級と呼ばれていた生徒たち向かったようです。障害児たちは、ひどくいじめられていた、と妻は言います。そして、どのようにいじめられていたのかについては、未だに口を開いて語ろうともしません。


  一方で、先生が横暴に振る舞えば、先生に媚びへつらうことによって難を避けようとする生徒たちのグループも出てきます。その中には、積極的に先生の行ういじめに加担しようとするものすら出てくるわけです。
  このような、集団が示す病理に関しては、日を改めて考えてみたいと思います。

セクシャル・ハラスメントとは何か

 この記事では、セクシャル・ハラスメントについてまとめておきましょう。
  セクシャル・ハラスメントとは、パワー・ハラスメントが背景にあると考えられます。セクシャル・ハラスメントとは、一般には、職場で大きな問題とされる行動です。その意味は、 「性的嫌がらせ」と言うところにあります。男性から女性へというケースが多いのですが、女性から女性へ、女性から男性へ行われるセクハラもあります。

2種類のセクハラ

「職場における性的言動によって労働者の労働条件が不利益を被ること」 (例えば上司の性的からかいに抵抗する態度を示すことによって、昇進・契約更新拒否・明らかに不利な配置転換などの措置を受けること)と「職場における性的言動によって労働者の就業環境が害される事」 (その不快さのために労働者の能力発揮が阻害されること)の2つに分けて考えられます。セクハラで会社や上司が訴えられる事は珍しくなくなっていますが、セクハラに該当するか否かは「労働者の意に反する性的な言動」が実際にあったのか、「就業環境が害された」とまで言えるのか、と言うことが争点となることが多いようです。

判断基準は「平均的な感じ方」

  そして、セクハラか否かの基準としては「平均的な女性労働者の感じ方」「平均的な男性労働者の感じ方」を基準とすることが適切とされています。ここは、世間常識に照らして客観的に判断することが必要とされており、 「セクハラと感じたから、セクハラだ」と言うわけにもいきません。 「セクハラは悪」という感慨が企業に浸透している反面、 「嫌いな上司を、セクハラをでっち上げることによって陥れる」というエセ・セクハラと裁判所に認定された事例も存在するからです。

あまり論じられないメンタルな支援

  さて、以上は職場を中心としたセクハラの判断です。そして、解決は、被害者への損害賠償、加害者への懲戒などによって図られることが一般的です。意外なことに、 「セクハラを受けた場合に、精神的にどのようなダメージを受けるのか」 「セクハラからの精神的回復が単独では困難な場合、どのような支援が可能なのか」と言うことに関してはあまり論じられていません。セクハラは、効果不幸か、民事裁判の領域であり、必ずしもメンタルヘルスの領域とは受け止められていません。

思春期に受けるセクハラに対しては?


  ことに、妻のように、性的アイデンティティが形成される中学校時代に教師からセクハラを受けた場合、それがどのような悪影響を及ぼすのか、その悪影響を最小限にとどめる支援方法は何なのか、と言う事は必ずしも突っ込んだ議論は成されていません。


この記事は、実に中途半端なところで終わらざるを得ません。ただ、 1つ報告しておきますと、妻は、中学校時代のセクハラ教師たちに未だに激烈な怒りを持ち続けています。今回の出版に際して、妻は「セクハラが横行していた母校の実名を是非出して欲しい」と強く主張し、 「ことが、こじれたが大変だから」と納得してもらうのに一苦労しました。

妻の性同一性の揺らぎ | その起源と行く末

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植え付けられた性への嫌悪感

 妻の生い立ちを聞くと、 「よく結婚できましたね」と驚く人が多い。なぜなら、 『病み上がりの夜空に』にも書いたが、妻は、物心がついたときから「男は、女に恐ろしいことをする」 「いつもボロをきていなさい」と言い聞かされて育ったからだ。 「性に対する恐怖心・嫌悪感が身についてしまってもおかしくない」と思われて当然だろう。

二年生に進級して衣替えが済んだ頃のある日。昼休み、私は廊下で掃除をしていた。不意に、腕に、男の腕の太い体毛が押しつけられるのを感じた。その両腕は、ほうきを持った腕ごと、私を抱きかかえていた。ブラウス越しにべったりと押しつけられた生温かい肉塊の弾力。

すぐにその両腕は緩められた。だが、私のブラウスに汗が移った。そこに密着した男の体から、生々しい体臭や汗が自分の背中に広がり、浸食してくるような気がした。こいつは、国語の教師だ。こんな風に、背中から他の女子生徒にいきなり抱きつくところを何度も見た。女子の体を一瞬楽しんだ後、すばやく腕を緩めるのだった。他の教師も一切この男を注意しなかった。多かれ少なかれ、似たようなことをやっていたから。

「スキンシップだ」――その教師の決まり文句がささやかれた。荒く高まりそうなのをようやく抑えた息づかい。耳をよぎる暑苦しい呼吸。広がる口臭はこの男のはらわたから出てきたものだ。

矢幡洋・著『病み上がりの夜空に』 【第2回】妻の章―亜空間(その2)---死のう。誰にも邪魔されない場所で、静かに消えよう。 | 立ち読み電子図書館 | 現代ビジネス [講談社]

 

 

その話題には触れられなかった

 僕は、 『病み上がりの夜空で』で最後の校正時まで、なんとかそれを書こうとしてうまくまとめることができなかった(『数字と踊るエリ』の時も、 「暴力的な場面はそれなりの迫力で描写したい」と思いながら、どう書き加えたらよいのか分からず、結局タイムアップで断念した)。 いれるなら第二章だ、と思いながらテーマが拡散してしまうような気がして、迷ったあげく入れなかった。


  そのため、ヒロインが父親の日記に発見する一言-もう、あいつを女だと思わない・ ・ ・という一言が表現しようとしていることが浮いてしまっているように思う。僕が書きたかったのは、妻が「 『女であること』ということを家族から喜ばれないままに育った」ということだった。

いつの間にか、それは消えていた

 上記の引用で書いたような、 「 『女』になることへの嫌悪感」は、実は、 『病み上がりの夜空に』のネタ元である妻の手記では、かなり強烈に表現されていたのだ。まずそのネタ本を下に僕が下書きを書き、その後で妻にチェック入れてもらう、という作業をしたのだが、僕が勢いに任せて書いた文章の中には「小学校時代、スカートを履くのが嫌で、ずっとズボンをはいていた」などの文章があった(昔、確かにそのように聞いた記憶があったのだ) 。それが、 「母親は小学校上級生になると普通にスカートを買ってくれた・ ・ ・おばあちゃんの支配力も弱まっていたし」とあっさり言われてしまった。結局、 「 『女』になることへの嫌悪感」は、ほとんどテーマとして取り上げることはできなかった。

妻は「男」になろうとしていたのだろうか?

  性的同一性の揺らぎというべきものは、妻と付き合い始めた頃にかなりはっきり感じた。何より、妻は男言葉で喋っていたのだ(これも、拙著では深めることができなかった) 。これに関しては、妻に対する僕の当初のほとんど唯一と言ってよい不満であり、相当文句を言った。 「じゃぁ、こう言えばいいの?あら、オホホホホホ・・・・」 (ついでに言うと、妻は冗談を言うのが好きだが、昔も今もそれがものすごく面白くない) 「いや、そういうことを言っているんじゃなくて、普通の喋り方をしてもらえないか」

 今では、これまた男言葉が好きな長女のこともあり、いまどきの若い女性が男言葉で喋ることがあまり気にならなくなってしまった。ただ、その頃の妻の男言葉には、どこか自分の元来の性を力ずくでこばもうとするかのような勢いがあり、それは僕の神経に触った。

 

確かに何かは獲得されないままなのかも知れない

 

 幼い頃から植え付けられた性への拒絶感。確かに、妻に「これが、普通の女性のリアクションだろうか」と不審に思う部分はある。それは、嫉妬心がほとんどないことだ。仕事の関係で、若い女性が家にきても、妻は平気で買い物に行ってしまうタチだ。家の中で、僕と若い女性が2人きりでいるということが何の意味も持たないらしい。もっとも、長くキリスト教信仰の中にあった僕は、こんなめったにない機会をとうとういちども活用する機会もなく来てしまった。だが、ある生物が体表に細かい繊毛を生やしていて、それによって、 異性体から伝わってくる微妙な何かをかぎ分けているとすれば、妻にはその繊毛にあたるものがごっそりと欠けているような気がする。

性の意味が次第に希薄になってゆく。これが年を取るということか

 ずっと続いていた性への嫌悪感がすっと遠ざかったのは、その行為が、大して怖いものではないということが分かったことが大きかったのかもしれない。


  とにかく、 「女であること」のために、散々自尊心を傷つけられてきた妻が、今はごく自然体の中年女性になっていること、それを見ると、植え付けられた性への嫌悪感も決して修復不可能なものではないということなのだろう(ところで一方、僕はある年齢までは「自分は女に生まれるはずだったのに、手違いで男になってしまったのだ」と思っていたのだが、もうその感覚を思い出せなくなっている・ ・ ・) 。