シーン2.Aの生い立ち−俺は社会のはぐれ者
Aの両親はいわゆる「できちゃった結婚」でAを妊娠したために大学を卒業す
るかしないかぐらいのまだまだ遊びたい年齢て仕方なく結婚した、という夫婦で
あった。
まだまだ遊び足りなかったAの父親はAが生まれた後にも家庭を全くかえりみ
ず、毎晩「仕事上の付き合いだ」と称しては12時を過ぎてから帰ってくるので
あった。しかし、本当は、Aの父親は結婚指輪を外して危ない火遊びを繰り返し
ているようだった。親となるにはまだ未熟過ぎた二人はろくに将来展望や育児計
画も立てずにAを頭に毎年子供が生まれた。
子供が生まれてもAの父親の行動は全く改善されなかった。父親としての責任
を感じるどころか幼い子供達をうるさがって土曜・日曜まで朝から「接待ゴル
フ」と言って家を出ていってしまうのであった。家庭を顧みない父親
Aの父親は世間なみの給料をもらっていたが、自分の遊びのために金をたくさ
ん使ってしまうのでAの母親は内職をして生活費の足しにしなければならなかっ
た。母親の方は父親ほど遊び好きと言うわけではなかったが、父親が外で実は浮
気をしているのではないかということでいつも頭が1杯であった。「会社の接
待」と言いながら、背広の内ポケットからは風俗店とおぼしき店の地図がついた
マッチや名刺などがよく出てきたからである。母親はこうしたチェックに夢中に
なっていた。
夫の素行チェックに内職に加え、その上、Aの下にはそれぞれ1歳違いで弟が
生まれており、母親はAに対してほとんど関心を向けなかった親の無関心のであ
る。Aは母親からはほとんどほったらかしに近い扱いを受けた。たまに、下の子
供たちの世話で疲れた母親がAにヒステリックな怒りを爆発させた。一貫性のな
い養育
母親が手が回らなかったという事情だけではなく、Aが放任されたのは、物心
ついたころからほとんど親をあてにしようとしない子供だったからでもある。A
は甘えない子供であった。幼児期の頃から、ひとりで遊ぶのが好きであまり他の
子どもたちとは遊びたがらなかった。なんでも自分ひとりで好きなようにできる
ような遊びを好んだのである。過度の自立性多少自分の思い通りにならないとす
ぐに短気を起こすところがある、と幼稚園では言われたが特に目立つところはな
かった。