「子どもの心のSOS」とか、「子どもの心に寄り添って」とか、全然役に立たないよ | 妻の暴力はそんなことしなくても落ち着いたもの
この頃の私は家の中で息をひそめ、自分の精神や食欲をコントロールする日々を送っていた。近所の誰にも知られないように、一歩も外に出なかった。達也がバラエティ番組を大きな音で見ているのが気に障り、はさみでテレビの電源コードを切り、親に散々怒鳴られた。
矢幡洋・著『病み上がりの夜空に』 【第3回】妻の章―亜空間(その3)---私が、治療者になる?精神の病だらけの人間に、心理療法などできるだろうか | 立ち読み電子図書館 | 現代ビジネス [講談社]
ああ、こりゃ、やっぱり暴力だね。
にらみつけた目をそらすまいと思っていたが、つい下を向いてしまった。そのとき、私の左側にちょうどまな板があった。その上に包丁が載っていた。私は左手でそれをつかんだ。
達也は手を離すと、ぱっと後ろに飛んだ。
私と達也の間に、冷たい金属色で鈍く光るものが屹立していた。
「何すんだよっ。危ねえじゃねえか」
矢幡洋・著『病み上がりの夜空に』 【第3回】妻の章―亜空間(その3)---私が、治療者になる?精神の病だらけの人間に、心理療法などできるだろうか | 立ち読み電子図書館 | 現代ビジネス [講談社]
「暴力は子供の心のSOS 」っていうね。聞いたことあるでしょ。
で、 「子どもの心に寄り添え」って言うよね。これまた、聞いたことがあるでしょ。繰り返し、繰り返し。そう、もう洗脳されちゃうくらいに。
ところで、こういうスイートな言葉が、無意味で、お馬鹿で、効果がなくて、かえってことを悪くするって、知っているかな?
いやそれどころじゃなくて。
こういう「傷ついた子供の心を癒してあげて」的な言葉が、お葬式場のお経以上に、きわめて有害な言葉だってことをね。
まぁ、色々あったわけさ。
不登校だし、解離症状あるし、拒食症だし。
でもって、 「心のSOS 」ってやつを誰も耳を傾けてくれなかったし(精神科医とかカウンセラーとかいう奴らも含めてね) 。
誰も心に寄り添ってくれなかったし、誰も癒してくれなかったし。
だけど、妻はよくなっちゃったってワケさ。
これ読んで、さぞかし不愉快だろうね。 「心が1番大事」と信じている人たちは。
でも、こういうこと、結局無くなっちゃったんだよ。
誰も意味を傾けてくれなくても、誰も心に寄り添ってくれなくても、ね。
つまり、妻は「目的」を見つけたわけさ。
そして、その目的を実現しようとするうちに、上に引用したようなこと、やる時間がなくなっちゃったってワケさ。
ついでに言うと、そんなことどうでもよくなっちゃったってワケさ。
まぁ、 「子供の心」 「傷ついた子供」 「子どものSOS 」って口を開くたびに行っている人たち(僕は、 「こども十字軍」と呼んでいる)は、この文章を読んでさぞかし不愉快だろうな。
当たり前さ、腹を立てさせるために書いているんだから。
だって、僕のそばには、いるわけなんだよ、 「心」 「傷」 「 SOS 」だの「こども十字軍」が好きで好きで余らない言葉とは無関係に、ただ目的を持つことによって軌道修正がでてきちゃった、と言う人間が。