矢幡洋の精神医学と心理学

学術的なことをかみ砕いたり、日常生活にお役に立てる知識まで幅広く扱います。これまで出した本の初期稿(出版されたものより情報量は多いです)や未発表原稿を連載しますので、何かしら新しい記事があります。本ブログは他にあり、読み切り本気記事はタイトル・サブタイトルが「|」の形で更新情報をお伝えします

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妻が中学時代に教師から受けたセクハラ | 彼女はまだそれを許そうとはしない

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なかなか信じてもらえないのですが、本当にあったことです

 妻の中学時代のセクハラ体験について、 「本当に、こんな学校があったのですか? 」と驚かれる方がいます。

 

私は、中学校の様子などを話したが、どうしても、今の中学への不満を抑えることができなかった。男性教師がにやつきながら学年全員の女子生徒のスカートの長さを物差しで測ること。友達が道徳の時間に指名されて立ったところ「お前、胸触られるってどういう感じがするのか、言ってみろ」と担任に言われたことなどを。

矢幡洋・著『病み上がりの夜空に』 【第2回】妻の章―亜空間(その2)---死のう。誰にも邪魔されない場所で、静かに消えよう。 | 立ち読み電子図書館 | 現代ビジネス [講談社]

(なお、今回、ネット上で立ち読みができるようになっている部分が公開されているのは今日までだそうです)

校内暴力・管理主義教育・・・色々変化したトレンド 

  ええ、実は、ずいぶん昔々の話になるのですが、校内暴力が流行った時代があったんです。有名な進学校でも、高校の卒業式が終わった後で、嫌われ者の先生が生徒にプールに投げ込まれたりしました。 「お礼参り」と言われていましたが、死語になってしまいましたね。他に、 「毎年卒業式ごとに、校内の窓ガラスが全部叩き割られた」などという話もありました。
で、そうゆう校内暴力の時代が収まった後に、今度は、 「教師が横暴に振る舞う時代」があったのです。僕自身は直接知りませんが、妻と近い世代の人では「教師に殴られて鼓膜が破れた」という話をしてくれた人もいました。その後、管理主義教育、ゆとり教育・ ・ ・などと教育風土はいろいろ変転しているようですね。
 とにかく、こんなことが日常茶飯事だった時代があったわけです(

http://personality-type.hateblo.jp/entries/2014/08/16

もご参照下さい)。

学校集団の歪み

 どうも、上がこういうことやると、下、つまり生徒の方にも歪みがやってきます。先生が生徒をいじめるだけではなく、生徒同士の間でいじめが流行るわけです。妻の話では、ことにそのいじめは当時は特殊学級と呼ばれていた生徒たち向かったようです。障害児たちは、ひどくいじめられていた、と妻は言います。そして、どのようにいじめられていたのかについては、未だに口を開いて語ろうともしません。


  一方で、先生が横暴に振る舞えば、先生に媚びへつらうことによって難を避けようとする生徒たちのグループも出てきます。その中には、積極的に先生の行ういじめに加担しようとするものすら出てくるわけです。
  このような、集団が示す病理に関しては、日を改めて考えてみたいと思います。

セクシャル・ハラスメントとは何か

 この記事では、セクシャル・ハラスメントについてまとめておきましょう。
  セクシャル・ハラスメントとは、パワー・ハラスメントが背景にあると考えられます。セクシャル・ハラスメントとは、一般には、職場で大きな問題とされる行動です。その意味は、 「性的嫌がらせ」と言うところにあります。男性から女性へというケースが多いのですが、女性から女性へ、女性から男性へ行われるセクハラもあります。

2種類のセクハラ

「職場における性的言動によって労働者の労働条件が不利益を被ること」 (例えば上司の性的からかいに抵抗する態度を示すことによって、昇進・契約更新拒否・明らかに不利な配置転換などの措置を受けること)と「職場における性的言動によって労働者の就業環境が害される事」 (その不快さのために労働者の能力発揮が阻害されること)の2つに分けて考えられます。セクハラで会社や上司が訴えられる事は珍しくなくなっていますが、セクハラに該当するか否かは「労働者の意に反する性的な言動」が実際にあったのか、「就業環境が害された」とまで言えるのか、と言うことが争点となることが多いようです。

判断基準は「平均的な感じ方」

  そして、セクハラか否かの基準としては「平均的な女性労働者の感じ方」「平均的な男性労働者の感じ方」を基準とすることが適切とされています。ここは、世間常識に照らして客観的に判断することが必要とされており、 「セクハラと感じたから、セクハラだ」と言うわけにもいきません。 「セクハラは悪」という感慨が企業に浸透している反面、 「嫌いな上司を、セクハラをでっち上げることによって陥れる」というエセ・セクハラと裁判所に認定された事例も存在するからです。

あまり論じられないメンタルな支援

  さて、以上は職場を中心としたセクハラの判断です。そして、解決は、被害者への損害賠償、加害者への懲戒などによって図られることが一般的です。意外なことに、 「セクハラを受けた場合に、精神的にどのようなダメージを受けるのか」 「セクハラからの精神的回復が単独では困難な場合、どのような支援が可能なのか」と言うことに関してはあまり論じられていません。セクハラは、効果不幸か、民事裁判の領域であり、必ずしもメンタルヘルスの領域とは受け止められていません。

思春期に受けるセクハラに対しては?


  ことに、妻のように、性的アイデンティティが形成される中学校時代に教師からセクハラを受けた場合、それがどのような悪影響を及ぼすのか、その悪影響を最小限にとどめる支援方法は何なのか、と言う事は必ずしも突っ込んだ議論は成されていません。


この記事は、実に中途半端なところで終わらざるを得ません。ただ、 1つ報告しておきますと、妻は、中学校時代のセクハラ教師たちに未だに激烈な怒りを持ち続けています。今回の出版に際して、妻は「セクハラが横行していた母校の実名を是非出して欲しい」と強く主張し、 「ことが、こじれたが大変だから」と納得してもらうのに一苦労しました。