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矢幡洋の精神医学と心理学

学術的なことをかみ砕いたり、日常生活にお役に立てる知識まで幅広く扱います。これまで出した本の初期稿(出版されたものより情報量は多いです)や未発表原稿を連載しますので、何かしら新しい記事があります。本ブログは他にあり、読み切り本気記事はタイトル・サブタイトルが「|」の形で更新情報をお伝えします

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妻の性同一性の揺らぎ | その起源と行く末

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植え付けられた性への嫌悪感

 妻の生い立ちを聞くと、 「よく結婚できましたね」と驚く人が多い。なぜなら、 『病み上がりの夜空に』にも書いたが、妻は、物心がついたときから「男は、女に恐ろしいことをする」 「いつもボロをきていなさい」と言い聞かされて育ったからだ。 「性に対する恐怖心・嫌悪感が身についてしまってもおかしくない」と思われて当然だろう。

二年生に進級して衣替えが済んだ頃のある日。昼休み、私は廊下で掃除をしていた。不意に、腕に、男の腕の太い体毛が押しつけられるのを感じた。その両腕は、ほうきを持った腕ごと、私を抱きかかえていた。ブラウス越しにべったりと押しつけられた生温かい肉塊の弾力。

すぐにその両腕は緩められた。だが、私のブラウスに汗が移った。そこに密着した男の体から、生々しい体臭や汗が自分の背中に広がり、浸食してくるような気がした。こいつは、国語の教師だ。こんな風に、背中から他の女子生徒にいきなり抱きつくところを何度も見た。女子の体を一瞬楽しんだ後、すばやく腕を緩めるのだった。他の教師も一切この男を注意しなかった。多かれ少なかれ、似たようなことをやっていたから。

「スキンシップだ」――その教師の決まり文句がささやかれた。荒く高まりそうなのをようやく抑えた息づかい。耳をよぎる暑苦しい呼吸。広がる口臭はこの男のはらわたから出てきたものだ。

矢幡洋・著『病み上がりの夜空に』 【第2回】妻の章―亜空間(その2)---死のう。誰にも邪魔されない場所で、静かに消えよう。 | 立ち読み電子図書館 | 現代ビジネス [講談社]

 

 

その話題には触れられなかった

 僕は、 『病み上がりの夜空で』で最後の校正時まで、なんとかそれを書こうとしてうまくまとめることができなかった(『数字と踊るエリ』の時も、 「暴力的な場面はそれなりの迫力で描写したい」と思いながら、どう書き加えたらよいのか分からず、結局タイムアップで断念した)。 いれるなら第二章だ、と思いながらテーマが拡散してしまうような気がして、迷ったあげく入れなかった。


  そのため、ヒロインが父親の日記に発見する一言-もう、あいつを女だと思わない・ ・ ・という一言が表現しようとしていることが浮いてしまっているように思う。僕が書きたかったのは、妻が「 『女であること』ということを家族から喜ばれないままに育った」ということだった。

いつの間にか、それは消えていた

 上記の引用で書いたような、 「 『女』になることへの嫌悪感」は、実は、 『病み上がりの夜空に』のネタ元である妻の手記では、かなり強烈に表現されていたのだ。まずそのネタ本を下に僕が下書きを書き、その後で妻にチェック入れてもらう、という作業をしたのだが、僕が勢いに任せて書いた文章の中には「小学校時代、スカートを履くのが嫌で、ずっとズボンをはいていた」などの文章があった(昔、確かにそのように聞いた記憶があったのだ) 。それが、 「母親は小学校上級生になると普通にスカートを買ってくれた・ ・ ・おばあちゃんの支配力も弱まっていたし」とあっさり言われてしまった。結局、 「 『女』になることへの嫌悪感」は、ほとんどテーマとして取り上げることはできなかった。

妻は「男」になろうとしていたのだろうか?

  性的同一性の揺らぎというべきものは、妻と付き合い始めた頃にかなりはっきり感じた。何より、妻は男言葉で喋っていたのだ(これも、拙著では深めることができなかった) 。これに関しては、妻に対する僕の当初のほとんど唯一と言ってよい不満であり、相当文句を言った。 「じゃぁ、こう言えばいいの?あら、オホホホホホ・・・・」 (ついでに言うと、妻は冗談を言うのが好きだが、昔も今もそれがものすごく面白くない) 「いや、そういうことを言っているんじゃなくて、普通の喋り方をしてもらえないか」

 今では、これまた男言葉が好きな長女のこともあり、いまどきの若い女性が男言葉で喋ることがあまり気にならなくなってしまった。ただ、その頃の妻の男言葉には、どこか自分の元来の性を力ずくでこばもうとするかのような勢いがあり、それは僕の神経に触った。

 

確かに何かは獲得されないままなのかも知れない

 

 幼い頃から植え付けられた性への拒絶感。確かに、妻に「これが、普通の女性のリアクションだろうか」と不審に思う部分はある。それは、嫉妬心がほとんどないことだ。仕事の関係で、若い女性が家にきても、妻は平気で買い物に行ってしまうタチだ。家の中で、僕と若い女性が2人きりでいるということが何の意味も持たないらしい。もっとも、長くキリスト教信仰の中にあった僕は、こんなめったにない機会をとうとういちども活用する機会もなく来てしまった。だが、ある生物が体表に細かい繊毛を生やしていて、それによって、 異性体から伝わってくる微妙な何かをかぎ分けているとすれば、妻にはその繊毛にあたるものがごっそりと欠けているような気がする。

性の意味が次第に希薄になってゆく。これが年を取るということか

 ずっと続いていた性への嫌悪感がすっと遠ざかったのは、その行為が、大して怖いものではないということが分かったことが大きかったのかもしれない。


  とにかく、 「女であること」のために、散々自尊心を傷つけられてきた妻が、今はごく自然体の中年女性になっていること、それを見ると、植え付けられた性への嫌悪感も決して修復不可能なものではないということなのだろう(ところで一方、僕はある年齢までは「自分は女に生まれるはずだったのに、手違いで男になってしまったのだ」と思っていたのだが、もうその感覚を思い出せなくなっている・ ・ ・) 。